あちこち龍馬。あれこれお寺。風頭公園から寺町にみる長崎らしさ | STLOCAL|長崎を旅するアプリ

あちこち龍馬。あれこれお寺。風頭公園から寺町にみる長崎らしさ

STLOCAL編集部

更新日:2022.6.27
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幕末の重要人物、と一口にいってもさまざまですが、ひときわ高い人気を誇るのが坂本龍馬。開港以来、近代的な文物が続々と輸入され続けたここ長崎の地で、彼は日本初の商社「亀山社中」を設立するなど、龍馬と長崎には深い接点があります。
風頭公園ほか伊良林界隈をはじめとする龍馬ゆかりのスポット、ついで隣接する寺町の見どころについても挙げていきましょう。

 

上野家墓地

まず訪れるべきは風頭(かざがしら)公園。長崎が生んだ日本初の商業写真家・上野彦馬のお墓もここにあります。龍馬やグラバーの肖像写真として私たちが目にするものの多くは「上野撮影局」という、彼が設立したスタジオにて撮られたものです。

幕末から明治にかけての長崎の街の様子も多数収めている彼。それら写真を通じ私たちが遠い過去の長崎をリアリティをもって感じられるのも彼のおかげです。龍馬もエラいけど彦馬もエラい。

 

坂本龍馬之像

公園内のシンボル的存在がこちら。高台から長崎港さらには大海原を望む龍馬は目つきがなんともりりしい……。

激動のさなかにある日本の将来を見据え、変革を急がねば! そんなスピリットがあふれるかのようなこの作品は、市内に数ある龍馬像の中でも見栄え的にもピカイチです。

 

司馬遼太郎『竜馬がゆく』文学碑

シンボリックにしてフォトジェニック。ファンならずとも見惚れてしまいかねない龍馬像のすぐそばには、生前の彼の活躍を題材にしたかの有名文学作品の碑も。そうです、『竜馬がゆく』。龍馬の名を一躍有名にした一作とあって、ここは聖地巡礼的にも外せないマストビジットなスポットです。

 

亀山焼窯跡

江戸後期に長崎ではじめられるも、製作された期間としてはわずか半世紀ほどという亀山焼。白磁の表面に施される上品でデリケートな絵付けは美術品としての価値も高いもので、坂がちな長崎らしく、土地の傾斜を生かした登窯で焼かれていました。

龍馬らが立ち上げた組織・亀山社中は、閉窯した施設を借用しこれを活動の拠点とした、とされています。

 

若宮稲荷神社

毎年10月14日と15日にとり行われる大祭で、市指定無形民俗文化財である「竹ン芸」が奉納されることで有名な神社。龍馬ほか、幕末〜明治維新期にかけて活躍した多くの志士たちが崇敬、ここを参拝していたことが伝わっています。

 

亀山社中資料展示場

龍馬が同志らと設立し、江戸幕府の倒幕を目的とする一連の活動、海運業、銃器の斡旋(あっせん)などを行った亀山社中。日本初の商社とされるこの組織、また海援隊に関わるもの、龍馬がしたためた手紙の写しなど、古写真ほか各種貴重な資料が展示されています。

 

龍馬のぶーつ像

龍馬の足元の装いといえば、ブーツ。日本ではじめてこれを履いたのも彼と言われています。この記念像、実際に足を入れてみることができて、ついでに舵輪(だりん)を握ってつかのま、舵取り気分が楽しめるようになっています。

真面目顔で、またはふざけ顔で、記念写真撮影をぜひどうぞ。

 

亀山社中記念館

亀山社中の遺構が、当時の姿により近いかたちに整備された記念館。龍馬がもたれかかっていたとされる柱のある部屋ほか、幕末の家屋の雰囲気のみならず龍馬たちの志までもが伝わってくるはずです。

 

上野彦馬撮影局跡

中島川沿い、銭屋橋そばにはこんな写真機をかたどったモニュメントが。先で登場した写真家・上野彦馬が設けたスタジオがここにかつて存在していたことを示すものです。

龍馬だけでなく高杉晋作、桂小五郎、そのほか多くの著名人たちがここで自らのポートレートを撮っていきました。

龍馬の足跡をたどるようにスポットをめぐるツアーはここまで。続いては、この近くで触れておきたい寺町風情の見どころをチェックしていきましょう。

 

光源寺

ひとつめは光源寺。「飴屋の幽霊」伝説の伝わるお寺です。

夜な夜な飴を買いに訪れる女性のあとをつけていくと、このお寺の墓に行き着き、そこには何故か赤ん坊の姿が……。そのわけはというと、亡くなったその母親がここに土葬され幽霊になった後でもその子を育てていたから、という民話です。

毎年8月16日には「産女(うぐめ)の幽霊木像」がご開帳。墓地の一画には赤子塚があります。

 

三宝寺

二段構えの本殿が風格を感じさせる三宝寺。ここでは右手の閻魔(えんま)堂にてお目見えする「コンコン婆さん」の像が、風邪やぜんそくをよくしてくれると伝えられています。

実はこれ、三途の川で衣服をはぎとる奪衣婆(だつえば)の姿だというからちょっと怖くもあります。

 

興福寺

江戸時代前期にできた日本初の唐寺。キリスト教の取り締まりが厳しくなる中、在日華僑たちが自らが仏教徒であるのを証明する目的もあり建てた黄檗宗のお寺です。

かの有名な長崎の眼鏡橋を架けたのは、実はこちらの二代目住職・黙子如定(もくすにょじょう)。また「いんげん豆」の名のルーツでもある隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師も来日時に一年ほど滞在していたなど、ここは昔から高名なお寺でした。ソテツの大木も実にエキゾチックな雰囲気。

 

晧台寺

晧台寺(こうたいじ)と読むこちらは長崎唯一の大仏さまでも知られる、長崎三大寺のひとつとして名高いお寺。

亀山社中のメンバーだった近藤長次郎、シーボルトの愛人・楠本タキとその娘・楠本イネ、オランダ商館長ドゥーフの息子・道富丈吉などなど、この街がたどった歴史へと思い馳せたくなる人物のお墓が広大な墓地に点在しています。

 

大音寺

大音寺(だいおんじ)。こちらもまた長崎三大寺のひとつ。白亜が印象的な本堂、樹齢300年のイチョウ、また大木のクロガネモなど外観的にも分かりやすいお寺です。

イギリス軍艦フェートン号が当時敵対関係にあったオランダの商船を追って長崎港に侵入するなどした「フェートン号事件」発生の責任から自害した長崎奉行のお墓もあって、大音寺と長崎奉行との関係の深さを示しています。

 

崇福寺

唐寺である崇福寺(そうふくじ)は、国宝をふたつも抱えるお寺。そのひとつ、大雄宝殿は一階が黄檗式、二階が和式とふたつのスタイルがミクスチャーしたものになっており、また長崎市に現存するもので最も古い建造物でもあります。媽祖門や護法堂といった国指定重要文化財を含めて見所はたくさん。中国的な優美さが随所に漂います。

旧暦の7月26日〜28日にはひろく日本全国から華僑の人々が集い、中国式の盆供養が大体的に営まれます。

寺町にもしばしば国際的な要素がみられるのが長崎の街。ユニークですよね。

※情報は取材当時のものです。詳細は公式サイトなどでも事前確認することをおすすめします。

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