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明人堂
明人堂は王直らが航海の安全を祈った廟堂跡地であるとされています。
1540年(天文9年)、当時東シナ海を中心に貿易商人として活躍していた明国の王直は、さらに勢力を拡大するため通商を求めて福江に来航しました。その際、財政に苦しんでいた領主宇久盛定公は、喜んで通商を許し、現在の唐人町一帯を居住地として与えました。
明人堂は、その王直らが航海の安全を祈るために建てた廟堂跡地であるとされています。王直は平戸にも居館を構え、明国が鎖国政策をとってからも倭寇と呼ばれ、体制にとらわれない海洋人として自由に往来していました。
現在の廟堂は1999年(平成11年)に改築されたもので、中国から取り寄せた石材を使い、中国の工人を呼び再現したものです。
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1540年(天文9年)、当時東シナ海を中心に貿易商人として活躍していた明国の王直は、さらに勢力を拡大するため通商を求めて福江に来航しました。その際、財政に苦しんでいた領主宇久盛定公は、喜んで通商を許し、現在の唐人町一帯を居住地として与えました。
明人堂は、その王直らが航海の安全を祈るために建てた廟堂跡地であるとされています。王直は平戸にも居館を構え、明国が鎖国政策をとってからも倭寇と呼ばれ、体制にとらわれない海洋人として自由に往来していました。
現在の廟堂は1999年(平成11年)に改築されたもので、中国から取り寄せた石材を使い、中国の工人を呼び再現したものです。
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