(C)五島市観光協会
石田城(福江城)跡
見事な石垣が印象的な「日本最後の海城」
五島家第30代領主盛成公によって黒船の来航に備えて建てられた福江城(石田城)。1863年(文久3年)に完成したものの、そのわずか9年後に明治政府によって解体された日本最後の海城として知られています。
築城当時は、日本で唯一、三方を海で囲まれた海城で、幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、城内には台場(砲台)が設けられていました。今となっては城の周囲は埋め立てられ、当時の姿をしのぶのは難しいですが、石垣や石橋のほか、城の裏門である蹴出門(けだしもん)が現存しています。
現在は、本丸跡に県立五島高校があり、毎朝、自転車に乗った高校生たちが城門をくぐって登校する不思議な光景が見られます。また、北の丸跡に五島観光歴史資料館、文化会館、図書館が立ち、二の丸跡には盛成公の隠居所として造られた五島氏庭園(国指定名勝)が当時のまま残っています。
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五島家第30代領主盛成公によって黒船の来航に備えて建てられた福江城(石田城)。1863年(文久3年)に完成したものの、そのわずか9年後に明治政府によって解体された日本最後の海城として知られています。
築城当時は、日本で唯一、三方を海で囲まれた海城で、幕末期の海上防衛や異国船の来訪に備えるため、城内には台場(砲台)が設けられていました。今となっては城の周囲は埋め立てられ、当時の姿をしのぶのは難しいですが、石垣や石橋のほか、城の裏門である蹴出門(けだしもん)が現存しています。
現在は、本丸跡に県立五島高校があり、毎朝、自転車に乗った高校生たちが城門をくぐって登校する不思議な光景が見られます。また、北の丸跡に五島観光歴史資料館、文化会館、図書館が立ち、二の丸跡には盛成公の隠居所として造られた五島氏庭園(国指定名勝)が当時のまま残っています。
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