(C)新上五島町観光物産協会
弁財天宮
有川・魚目の海境論争によって出現した守護神で、この論争を物語る史料であり、また有川鯨組の守り神として人々の信仰を集めてきたものである。
有川の鯨唄並びに羽差踊りの起源は明らかでないが、弁財天が浜の応護島に奉斎されたのは今から300年ほど前の元禄2年(1689年)2月の頃と思われる。この弁財天は、有川鯨組が地元人単独で組織された頃は、鯨組の守り神ともされ、当時正月元日には祖母君、八幡、天満三社と丹那衆の所で歌と踊りが奉納披露され、2日には払暁から太鼓に合わせて大歌などの鯨唄が歌われ、終わると40数人の羽差したちがロクロの周囲に円陣を作って生歌踊り等をして盛大に初漁に向かう行事を行い、14日には大潮になるので仕事を休み盛大な弁財天祭りを営み、大漁と操業安全を祈願し、鯨唄を歌い踊ったとあることから、元禄6年ごろには既に今日伝承されている各種の鯨唄や作業歌と羽差踊りが歌い踊られていたものと考えられている。現在は、1月の第3日曜日早朝より行われている。
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有川の鯨唄並びに羽差踊りの起源は明らかでないが、弁財天が浜の応護島に奉斎されたのは今から300年ほど前の元禄2年(1689年)2月の頃と思われる。この弁財天は、有川鯨組が地元人単独で組織された頃は、鯨組の守り神ともされ、当時正月元日には祖母君、八幡、天満三社と丹那衆の所で歌と踊りが奉納披露され、2日には払暁から太鼓に合わせて大歌などの鯨唄が歌われ、終わると40数人の羽差したちがロクロの周囲に円陣を作って生歌踊り等をして盛大に初漁に向かう行事を行い、14日には大潮になるので仕事を休み盛大な弁財天祭りを営み、大漁と操業安全を祈願し、鯨唄を歌い踊ったとあることから、元禄6年ごろには既に今日伝承されている各種の鯨唄や作業歌と羽差踊りが歌い踊られていたものと考えられている。現在は、1月の第3日曜日早朝より行われている。
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