寺山団助妻女の墓
鍋串免字坪川にあり。天正十七年(1589)七月十日、志佐勢の夜襲を受け、夫の命により落ちのびようとした体月妙用(釈名)は侍女とともに追手にかかり、この地で悲愴な最後を遂げた。身にそれぞれ五カ所と三カ所の傷を負った主従は、今わのきわに墓に五カ所、三カ所の傷をつけて葬ってほしいと言って息絶えたという。その後、夜な夜な悲痛な声が聞こえたというので村人はここを「夜泣越」ヤナンゴと言った。
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