旧松山町防空壕跡
現在平和公園になっている丘は、戦争中には上に刑務所があったことから「刑務所の丘」と呼ばれ、その崖を利用して町内会で数か所の防空壕を掘っていました。原爆投下時は警報解除中だったため、町民は防空壕に避難しておらずほとんどが即死でした。しかしたまたまこの崖下の防空壕の一つで遊んでいた9歳の少女が助かり、町内唯一の生存者となりました。平和公園の再整備の際に防空壕跡が発掘されたことから、現在では保存され外から見ることができます。
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