平和を繋ぐ、祈りのまち浦上。
公開日:2022/2/22最終更新日:2022/2/22浦上・平和公園
原爆投下の惨劇と復興。
8月9日午前11時2分。長崎の人は毎年この時間に黙祷をささげます。原爆により命を失った多くの方の追悼。そして、もう二度とあのような悲惨な出来事が起きないようにと。
当時の惨劇から奇跡の復興を果たしたこの浦上地区では、原爆投下により被害を受けた建造物、当時の様子を記録した資料館等、戦争とは何か、平和とは何かを学び、考えることができます。長崎に来たら一度は足を運んでおきたい、浦上地区の観光場所をご紹介いたします。
➀坂本国際墓地
坂本国際墓地入って右側にあるユダヤ人墓地
坂本国際墓地は明治21年(1888年)に開かれた、長崎では一番新しい国際墓地です。
日本人を含む14か国の325名が埋葬されており、墓地は1等・2等・3等の3等級に区画に分けられています。入って右には約30基のユダヤ人墓地。奥の一画には義和団事変で命を落としたフランス人兵士や第二次世界大戦中捕虜として亡くなったアメリカ人兵士が葬られています。
坂本国際墓地の奥の区画の墓地
坂本国際墓地入り口にある永井隆の墓地
また、入り口には、原爆投下後の救護活動に尽力した元長崎医科大名誉教授の永井隆が埋葬された墓地があります。
永井隆は長崎市名誉市民でもあり、長崎市上野町に永井隆記念館が設立されています。
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②山王神社
山王神社は、爆心地から約800メートルの地点に位置しています。
爆心地から近かった山王神社は被爆し、社殿は跡形もなく崩壊してしまいました。
その後、現在の山王神社が再建されています。
山王神社の参道には、一本柱鳥居(二の鳥居/片足鳥居)と呼ばれる鳥居がありますが、本来4つあった鳥居のうち、この鳥居だけが片方の柱を残した状態で現在も残っています。
山王神社の一本柱鳥居
また、左片方の柱の残骸は、一本柱鳥居の奥に置かれています。
一本柱の奥に置かれてある、二の鳥居の残骸
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③山王神社被爆の楠の木
また、山王神社には、原爆の熱線と爆風により一時はひどく焼かれたものの、豊かな緑を取り戻した樹齢500~600年の大楠(被爆クスノキ)があります。
木の近くに行って上を見上げると、2本の木が絡み合い緑の屋根をつくっていました。大きくそびえ立つこの木の下に立つと、自分が守られているような感じがします。
現在は、長崎市の天然記念物に指定されています。
被爆後も力強く命を燃やし続けている、山王神社の大楠
原爆の脅威が伝わってくる貴重な資料が山王神社にはあります。
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④原爆死没者追悼平和祈念館
さて、山王神社から10分ほど歩いたところには、原爆についてより深く知ることができる資料館があるのですが、その周辺には祈念館やモニュメント等、当時の貴重な資料や記録、平和を訴えかけるものが多くあります。
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館は、原子爆弾による多くの死没者の犠牲を銘記し、恒久の平和を祈念するための施設として、被爆地である長崎市と広島市に設置されています。
入り口には、原爆死没者の方々が求めた「水」をたたえる水盤が設置されており、夜になると光ファイバーにより約7万の追悼の明かりが灯るようになっています。
祈念館内では、原爆被爆に関する手記・体験記をはじめ、関連図書などを閲覧することができるようになっており、追悼空間には、原爆死没者の氏名を記載した名簿が納められています。
立長崎原爆死没
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⑤長崎原爆資料館
そしてここが、長崎原爆資料館。
学校の修学旅行で来たことがある方もいるのではないでしょうか。
ここには、被爆の惨状をはじめとし、原爆投下に至った経過および核兵器開発の歴史、平和希求など、ストーリー性のある展示を見学することができます。
長崎原爆資料館の入り口
原爆資料館内は、常設展示と企画展示、原爆・平和に関する書籍およそ2万5千冊を所蔵した図書館や、館内を見た後に一息つけるカフェも併設されています。
また、原爆資料館の入り口に向かうまでの外階段の途中には、平和を祈る様々なモニュメントも展示してあります。
長崎原爆資料館入り口手前に設置されている、平和の母子像
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⑥旧松山町防空壕跡
祈念館や資料館周辺から10分程歩くと、平和公園エリアに入ります。
平和公園の入り口近くには、旧松山防空壕跡があります。
1941年に太平洋戦争がはじまり、1944年頃には日本本土への空襲が激しくなりました。国の指示で全国的に町内会や各家庭で防空壕がつくられるようになりました。
長崎では山が多い地形を利用して、斜面に横穴を掘って各々を内部でつなぐなどしていました。
当時は浦上刑務支所があった平和公園周辺の斜面には、多くの家庭用や町内用の横穴式防空壕がつくられており、原爆投下後、爆心地から半径500m以内にいた人達はほとんど即死しましたが、これらの防空壕の中でわずかながら生き残った人もいたようです。
防空壕内部の様子
防空壕跡は現在フェンスで囲まれていますが、フェンス越しに防空壕跡内を除くと、瓦礫が散らかっているのが見えます。
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⑦平和公園
旧松山防空壕跡の横にあるエスカレーターを上ると、平和公園にたどり着きます。
まず入ると見えてくるのはこの泉です。
喉の渇きに苦しみながら亡くなっていった被爆者の霊に水を捧げて、世界恒久平和と核兵器廃絶の願いを込めて建設された円形の泉。昼は、陽光の差し込む泉の様子を。夜は照明でライトアップされた様子を見ることができます。
平和祈念像とその周辺のモニュメント
平和祈念像の前まで行く道には、複数のモニュメントや浦上刑務支所跡を見ることができます。その通りを進んでいくと、毎年8月9日に平和祈念式典が行われる広場があり、その正面に平和祈念像が設置されています。
天を指した右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた瞼は原爆犠牲者の冥福を祈るという想いが込められています。
平和祈念像の近くには千羽鶴も飾られてあるので、ぜひ近くまで行って像の周りも歩いてみてください。
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⑧浦上天主堂
浦上地区の原爆遺構めぐりも、終盤となってきました。
平和公園から10分ほど歩いた場所にある浦上天主堂も、爆心地近くにあったため、原爆投下による被害を大きく受けました。
被爆倒壊後は、現在の天主堂が509坪の面積を誇る大聖堂として再建され、さらには昭和55(1980)年にローマ法王、ヨハネパウロ二世の訪問に合わせて、外観を赤煉瓦造、内部を美しいステンドグラスに飾るなどの改装を経て、現在の浦上天主堂になっています。
浦上天主堂の外観
浦上天主堂入り口横には、教皇ヨハネパウロ二世の像が設置されています。天主堂内部は撮影が禁止となっておりますが、誰でも入ることができます。美しいステンドグラスと神聖な空気漂う室内もぜひ見学してみてください。
また、冬の時期は、夜になるとイルミネーション輝く天主堂を見ることもできるので、冬の時期に観光に来られた方は、夜の浦上天主堂を見るのもおススメです。
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⑨PEACETOWN COFE
最後は、浦上天主堂から徒歩5分の場所に位置する、PEACETOWN COFEをご紹介いたします!
PEACETOWN COFE店内の様子
店内は木の素材で作られた机や床が特徴的で、自転車が好きなオーナーさんが迎えてくださいます。店内にはロードバイクの部品も飾られていました。
さて、気になる人気のメニューは…
人気メニューのスコーンとコーヒーのセット
PEACETOWN COFEの人気メニューは、スコーンとコーヒーのセット。
スコーンはクロテッドクリームと、〈蜂屋なべとう〉の国産蜂蜜レンゲをかけてお召し上がりください。しっとりめのスコーンに、このクリームと蜂蜜の組み合わせがとてもマッチしていて、つい笑みがこぼれてしまいます(笑)
ちなみに、この蜂蜜は購入することもできます。
コーヒーは店内に置いてある複数の種類の豆から選ぶことができます。注文が入って豆を挽き、1杯ずつハンドドリップで淹れてくださるので、待っている時間もワクワクしますね。
スコーンにはクロテッドクリームと蜂蜜をかけるのがおススメ
今回はPEACETOWN COFEを最後に紹介しましたが、オーナーさんは観光客の方に観光スポットを教えることもあるようなので、ここのカフェに最初に足を運んで、コーヒーを買ってから観光を始めても良いかもしれませんね!
原爆犠牲者の冥福と平和を願う祈りのまち、浦上地区。いかがでしたか?
楽しい観光スポットを巡る旅も良いかもしれませんが、観光を機に、長崎の原爆投下の歴史や背景に触れてくださると嬉しいです。ぜひ一度足を運んでみてくださいね。
※情報は取材当時のものです。詳細は公式サイトなどでも事前確認することをおすすめします。
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この記事を書いた人
STLOCAL編集部
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