吉雄圭斎の墓
江戸時代中期に活躍したオランダ通詞の吉雄耕牛の二代目・幸載の次男にあたる吉雄圭斎。軍医のポンペや、小島療養所教官のボードウィンなどに教えを受けて、新しい医学を学んだ人物です。当時、まだ一般人に種痘がなかなか理解されない中で、身内を実験台として人々の誤解を解いて普及に努めました。明治維新後、吉雄圭斎は陸軍軍医として活躍しました。現在、住まいの跡が興善町に残されており、墓は春徳寺にあります。
住所
〒850-0016 長崎県長崎市夫婦川町11−1
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