めがね橋からアーケードまで、長崎まちなかエリアの趣 | STLOCAL|長崎を旅するアプリ

めがね橋からアーケードまで、長崎まちなかエリアの趣

STLOCAL編集部

更新日:2022.6.13
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カタチまんまるの眼鏡橋がひときわ目をひく中島川沿い。散策に適したこの一帯の後で、歴史ある商店街やアーケードの連なる賑わいの界隈へと向かいます。

道中では幕末〜明治期の重要人物ゆかりの現場も頻出するあたりが長崎の懐の深さ。まちは昔も今も人の営みに満ちています。

 

袋橋

中島川に架かる橋といえば、筆頭格はもちろん眼鏡橋(後述)。対してこちらは、その眼鏡橋を写真に収める際のベスト地点との呼び声が高い石橋。つい近年(平成27年)まで車で渡ることが許可されていたほど頑丈です。

 

近藤長次郎顕彰碑

坂本龍馬とその同志により立ち上げられた日本初の商社・亀山社中。そのメンバーの一人であった近藤長次郎をたたえる碑が、袋橋から眼鏡橋の間に見つかります。

船の買い付け交渉にあたるなど活躍するも、のちに独自に密航計画を企(くわだ)て、社中の仲間に知られて切腹させられたとは、なんとも痛ましいストーリー…。

 

眼鏡橋

そうしてこちらが界隈きってのシンボル系スポット、眼鏡橋です。数多くの水害を乗り越え今や日本最古の石橋と言われていますが、さすがは国指定重要文化財。

その名の由来はというと、江戸時代、長崎みやげには南蛮貿易で入ってきたメガネが選ばれていたから、というもの。川面に映る、反転した像との組み合わせがまさしくメガネメガネなフォルムなので、ぜひその目でお確かめを。

 

中島川公園

石橋が数多い中島川沿いは、細長い公園として整備されています。2月にはオブジェの華やかなランタンフェスティバルが、また6月にはアジサイが咲き乱れるなど、季節のお楽しみとの抱き合わせも魅力のひとつ。これらの時期を狙うのも手です。

雰囲気のあるカフェやチョコレートハウスなども点在するこの界隈は、ひと休みついでのお楽しみにも事欠きません。

 

市立諏訪小学校

公園を離れて中島川を挟んで反対側、商店街サイドへ。こちらは地域の小学校なのですが、校舎の外壁にあしらわれたレリーフが大きく堂々としたものになっており目を引きます。長崎の歴史をシンボリックに伝える、まちっこの学び舎です。

 

上野彦馬生誕地

日本国内で初めてプロの写真家になった上野彦馬。彼の生まれた場所がここであるのを示す像が立っています。ちなみに彼の父・俊之丞は蘭学者であり長崎奉行の御用時計師でもあった人物。親子そろって、メカに強かったのですね。

 

えごばた

なんとも聞き慣れない響きですが、長崎では川よりは小さいけれど溝よりは大きな水の流れを指して「えご」、またその脇に面した通りを「えごばた」とかつて呼んでいました。地域の人がここでの用事ついでにおのずと語り合った、そんな一画です。

なお、この鹿解川(ししときがわ)の底にある石張りは明治初期には最先端の土木技術だったとか。

 

アルコア中通り

江戸中期から続くという、長崎最古の商店街の通り。歩行者天国になっています。驚いてしまうほど歴史の長い老舗があちらこちらにさりげなく点在しています。時代的に考えれば龍馬や勝海舟も当然、立ち寄ることがあったはず。足元へと視線を下ろせば、ところどころでこの地域にある各町のしるし「町印(ちょうじるし)」のタイルも見つかるでしょう。

現代のセンスからするとやや細いこの道幅が昔をしのばせる感じで妙にいいです。

 

常盤橋

本古川通りと中島川が交差するここは、実は原爆投下時の目標地点として定められていた地点なのです。実際には現在の平和公園の近く、浦上に落とされたわけですが、狙い通りここの上空に落ちていた場合、今ある街の光景も当然大きく異なっていたはずです。

 

浜の町アーケード

県内一の繁華エリアがココ。普通にアーケードなのに実は国道というのが意外な「浜市アーケード」、そしてヨーロッパのアーケードデザインを模した「ベルナード観光通り」というふたつのアーケードが交差しています。

「浜の町」「浜町」などと書いて発音は「はまんまち」。正しい読み方を覚えてイザゆかん、グルメ&おみやげハンティングへ。

 

かます通りあらため「リカちゃん通り」

ベルナード観光通りの一本お隣に位置するかます通り。各種ショップからカフェ、レストランなどここには女子に刺さるスポットがかねてから数多く、地元誌の企画で募集・決定された「リカちゃん通り」の愛称が今に至るまで定着しています。夢とトキメキと地域愛を感じさせる、素敵なお買い物ストリートです。

 

六芒星のマンホール

ベルナード観光通りのとある地点に、何気に珍しいマンホールがあります。長崎市のマンホールには中央の部分にふつう市標である五芒星のカタチ(いわゆる星形)が描かれているところが、なぜだかここのマンホールだけは角が一個多い「六芒星」になっているのです。

にぎわう通りに潜む、ミステリアスなマンホール。なんだか魔除けにも見えてきます。

 

清風亭跡

賑わいの街にて、ふいに歴史スポットがご登場です。幕末、土佐を脱藩した坂本龍馬は同じく土佐の藩士・後藤象二郎とここにかつてあった「清風亭」での会談を通じ、意気投合。ふたりは海援隊を結成し、新たな時代の到来を促す大きな力となっていったのでした。

 

 

唐子地蔵

ここにさりげなくたたずむのは「唐子地蔵」。火除け祈願で手を合わせる地域の人も見かけることができるでしょう。子どもの守り神としても信仰のあつい、大切なお地蔵様です。

 

銅座跡

金座でも銀座でもなく「銅」座。江戸時代のこと、国内の銅を海外輸出する際はここにあった鋳銅所で銅をまず細長い棒状のかたちに一律加工し、扱いやすくしてから発送されていました。

そこから時代は下って、いつしか夜のお店が増えるように。今では長崎の代表的な歓楽街となっています。

 

薩摩藩蔵屋敷跡

薩摩藩がここに設けた屋敷は、今でいう領事館のような存在。国内外の重要な機密情報をいち早くキャッチしやすい港町長崎で捕えて、これを故郷の薩摩藩へと迅速に伝える等の活動が営まれていました。長州藩の伊藤博文や井上馨といった要人がかくまわれていたことも。激動の時代において、長崎は歴史が大きく動く最前線になることも数多かったのです。

 

土佐商会跡

さて、ぐるっと回るように歩き続けてまた中島川の方へと戻ってきました。路面電車の駅・浜町アーケード駅のすぐそばにあるのは「土佐商会跡」。あの三菱財閥の岩崎弥太郎も敏腕を振るった貿易商会・土佐商会について伝えるボードがここにあります。海援隊とも関わりつつ、彼らもまた時代を牽引する役割を果たしました。

 

鐵橋(くろがねばし)

土佐商会跡のお隣の、人が数多く往来する鐵橋は地元っ子いわく「てつばし」。これが通称であり、そう呼び習わしはじめたのは日本の活版印刷の祖・本木昌造。彼もまた長崎が生んだ偉人です。

※情報は取材当時のものです。詳細は公式サイトなどでも事前確認することをおすすめします。

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