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【長崎・五島】日本人初の海外宣教師・中村長八神父ゆかりの地を巡る

とっとってmotto!編集部

更新日:2023.2.07
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今回は五島市奥浦町・カトリック浦頭教会界隈を、この地区の歴史に詳しい木口重憲さんと一緒に散策しました。奥浦(浦頭)生まれで日本人初の海外伝道の神父、中村長八神父の足跡や、ゆかりの地などを紹介します。

 

旧約聖書のノアの箱舟をイメージした教会

五島市中心部から県道162号を北へ10分ほど車を走らせると、小高い丘に建つ白亜のカトリック浦頭教会が見えてきました。教会手前の山際に続く道に入ります。

ノアの箱舟をイメージして作られたカトリック浦頭教会

 

中村長八神父が植えた樹齢100年近くのイヌマキ

緩やかな坂道を少し上ると、石垣のそばに立つ高さ約15mのイヌマキの木が見えてきました。木口さんは「南米ブラジルで日本移民のために布教活動を行い、ローマ教皇から日本人初の教皇功労賞を授与された中村長八神父が、ブラジルに発つ前、生家近くに植えたイヌマキです。樹齢100年近くになります」と話します。石垣の奥にあった中村長八の生家は崩れ、草木が生い茂っていました。

1923年に中村長八神父がブラジルへ渡る際、親族との決別を惜しみながら植樹したと伝えられています

 

木口重憲さん

 

ここから県道に戻り、奥浦湾沿いにおよそ5分。海を見下ろす高台の奥浦慈恵院跡へ。

 

奥浦慈恵院は、さまざまな理由で家庭から離れて暮らす子どもたちの養育の場として、1904年から102年間運営されました。建物の老朽化に伴い、現在は平蔵町に移転しています。敷地内にはファティマの聖母像や、堂崎教会から約10年前に移された「マルマン神父とペルー神父とこどもたち」の像がありました。

「ファティマのマリア」といわれています

左がペルー神父、右がマルマン神父。この像は堂崎教会にあったもので、堂崎教会100周年記念に新しく像が作られたことからここに移されました。

マルマン神父は1880年に奥浦慈恵院の元となった大泊子部屋を創設。ペルー神父は五島で初めて赤レンガを使った洋風の堂崎教会を建立したことで知られています。跡地からは奥浦湾や五島灘、正面に堂崎教会が見えました。

レンガの塀には十字架が

五島市奥浦郷土誌「よかとこ五島奥浦マップ」より。1938年に日本人初の「教皇功労賞」を授与された中村長八神父。堂崎教会に中村長八コーナーがあり足跡をたどることができます 写真提供/おくうら夢のまちづくり協議会

 

奥浦慈恵院跡から。正面に堂崎教会が見えます

 

以上、とっとってmotto!編集部でした!

※情報は2022年11月時点のものです。詳細は公式サイトなどでも事前確認することをおすすめします。

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