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獄門所跡

明暦3年(1657年)、潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」に関係する場所です。608人のキリスト教徒が捕まり、取り調べの結果、411人が死刑になりました。そのうち放虎原殉教地で処刑された131人の首は塩漬けにされ、見せしめとして当時人通りの多かった「長崎街道」沿いのこの場所で20日間さらし首にされました。
今は、白亜の無原罪の聖母像が建てられ、遠い昔の殉教者たちの霊をやさしく慰めています。

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住所

長崎県大村市松並1丁目

電話番号

アクセス

長崎県営バス「市民病院[大村]」徒歩15分

よく一緒に訪れられるスポット
大村純忠終焉の居館跡(大村純忠史跡公園)
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大村純忠終焉の居館跡(大村純忠史跡公園)

ここは、坂口館とも呼ばれ、屋敷の広さや居館跡は不明ですが、古くは大村家の重臣で庄頼甫(しょうよりすけ)の屋敷だったといわれています。のちに龍造寺隆信の圧迫を受け、領主の座を退いた大村純忠が晩年に隠居した所です。純忠は、日本で最初のキリシタン大名となり、洗礼名をドン・バルトロメウといい、敬けんなキリスト教信徒でした。坂口館で病と闘いながらも、ひらすら信仰の生活を送っていましたが、天正15年(1587年)、55歳の生涯を閉じました。横瀬浦や長崎の開港、キリスト教への入信と布教、天正遣欧少年使節の派遣、宿命的な近隣諸国との争いなど、純忠の一生は波乱に満ちたものでした。待ちにまった少年使節の帰国の姿を目にすることなく、この世を去ったのです。坂口館には、「館の川(たちのかわ)」と呼ばれ、どんな干ばつの時にも枯れることがない清い流れがありました。また、庭園の泉水となり年中きれいな水が湧き出していました。周囲の景観は変わりましたが、清らかな水の流れと苔むした石組みに、わずかに昔を偲ぶことができます。現在は、この庭園跡を中心に整備され、大村純忠史跡公園となっています。

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新大村

獄門所跡を巡る周遊コース
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