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住所
長崎県大村市玖島1丁目140
アクセス
「公園入口」バス停から徒歩6分
旧楠本正隆屋敷
楠本正隆によって明治3年に建てられたもので、寄棟造り、桟瓦葺き、平屋建て一部2階の母屋と、渡り廊下で結ばれた別棟の離れからできています。建物の様式から、近世武家住宅の系譜を引くもので、建物だけでなく石垣、庭園などを含めた屋敷地の全体がほぼそのまま残っており、旧大村藩に残る武家屋敷の遺構としては、最も形式の整ったもののひとつです。
大村公園
五教館御成門
大村藩の藩校の唯一の遺構である御成門は、天保2年(1831)現在地に五教館が移転されたとき作られ藩主の来校時に使用したものである。五教館の歴史は寛文10年(1670)玖島城内に文武の教育のために開設され、藩士の子弟に限らず、農民や町人の子弟も入学を許可されていました。
中尾元締役旧宅(日向平武家屋敷跡)
小姓小路の南を通る小道、日向平武家屋敷跡には13戸の侍屋敷がありました。道の両側には畑や田地が並行し、三日干川が流れ、丘を越えると鈴田や三浦の山が望まれます。その道中にある中尾元締役旧宅は、当初120坪で、主な建物は殿様用の玄関、通用の玄関、勝手口、大広間、次の間などがあり、天窓も造られていました。(現在は民家になっており公開されていません)
小姓小路(武家屋敷通り跡)
小姓とは、殿様の側で仕えた家来のことをいい、初め小姓衆が住んだ通りであることから小姓小路と名付けられました。ここは大村の武家屋敷街の中でも、最もまとまって石垣の残っている通りで、武家屋敷の景観を残す貴重な場所となっています。
久原城跡
石井筆子の像
古里庵(こりあん)
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