シーボルトが歩いた道を辿る雨の似合う大人のまち歩き
2022/10/10 公開
新大工町・鳴滝・諏訪神社
梅雨時期に色鮮やかな花を咲かせる紫陽花は、長崎市の花として制定されて、広く市民から愛されています。そんな紫陽花と長崎に深く関わった人物こそ、出島のオランダ商館医として長崎にやってきたシーボルトです。今回は彼の生涯や功績を今に伝える「シーボルト記念館」に足を運びました。貴重な資料とともに、長崎との関わりについて紹介します。そして周辺のオススメしたいお店にも立ち寄りました。中心部から少し離れた落ち着いた雰囲気の通りを歩きながら、長崎の歴史を違った角度から学ぶのはいかがでしょう。
鳴滝の風情ある小道を奥へと進む
まずは路面電車を新中川町電停で降り、歩いてシーボルト記念館を目指します。道中には、かつてシーボルトが歩いたとされることから「シーボルト通り」という名前が付けられた道があり、この緩やかな坂道を進んだ先に記念館があります。
ちなみに近くの新大工町商店街も「シーボルト通り」の一部となっており、入り口部分にはシーボルトが描かれたアーチも建てられています。商店街の先には、長崎街道の起点があります。
シーボルト記念館の手前の広場は、かつてシーボルトが構えた鳴滝塾があったとされる「シーボルト宅跡」です。医官として来航したシーボルトから西洋医学を学びたいと多くの日本人が集まり、幕末に活躍したさまざまな人物を輩出しました。
現在は建物は残っておらず、シーボルトの銅像が建てられています。また毎年5・6月には美しい紫陽花の花に囲まれます。
紫陽花とシーボルトの関係について紹介する前に、そもそもどのような人物だったのか簡単におさらいしましょう。
本名フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、1796年にドイツで生まれます。医学の道に進むとともに、動物学や植物学、民族学なども学びます。もともと見知らぬ国の自然や文化に強い関心があったことから、世界中で貿易をしていたオランダの軍医となります。そして鎖国時代の日本で唯一ヨーロッパに開かれていた長崎・出島へ派遣され、オランダ商館医として働きながら、日本のさまざまな自然や文化、歴史、暮らしについて調査します。長崎に到着したのは、シーボルトが27歳の頃です。
こうした調査の中で入手した資料や当時の記録、ゆかりの品々を展示しているのが、シーボルト記念館です。大きな西洋風のレンガ造りが特徴的ですが、この建物の外観は、オランダ・ライデン市のシーボルト旧宅をイメージしたものです。
シーボルトと紫陽花との関わり
まず建物に入ると、1階ロビーでシーボルトの生涯を簡単にまとめたビデオを鑑賞できます。
シーボルトは日本に滞在中、オランダ商館長の江戸参府に同行。旅の途中で各地の植物や動物を採取して、気温や富士山の高さまで計ったそうです。外国人が日本を自由に移動するのは禁止されていた時代で、こうした記録はとても貴重でした。集めた品々や資料は船でオランダに送られ、後の日本研究に大いに役立てられました。しかし、この江戸参府の後に、有名な「シーボルト事件」がおきます。
記念館の2階は、シーボルトの生涯を6つのコーナーに分けて紹介しています。貴重な資料の数々はとても精巧で、当時の日本人の暮らしや風土がとてもリアルに伝わってきます。
シーボルト事件では、日本調査のために集めた品々の中に、外国に持ち出すことが禁じられていたものがあったことが問題となりました。長い取り調べの後、シーボルトは罰として国外追放されます。この時、シーボルトは33歳でした。
シーボルトは日本でお滝という女性と出会い、二人の間に娘のイネが生まれていました。国外追放となり、愛する妻や子どもと離れ離れになってしまいます。オランダに帰国後も、シーボルトは日本とお滝を想い続け、自ら編纂した日本の植物誌にて、紫陽花の学名をお滝からとり“おたくさ”と名付けます。こうした歴史から、今でも長崎では紫陽花が広く親しまれています。
帰国後も精力的に日本研究に打ち込んだシーボルト。記念館には、人生をかけてまとめた研究書の一部や資料が展示されています。シーボルト事件のその後の人生、ぜひ実際に足を運んで触れてみてください。
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地元で愛される和洋菓子店に寄り道
シーボルト記念館近くにあるお店も紹介します。まずは一見中国風の店構えに目を引かれる西洋菓子店「樹(いつき)」。3代に渡ってこの場所で店を営む老舗です。
写真右が3代目となる店主の斉宮幸太郎さん。もともと樹は和菓子店でしたが、洋菓子の道に進み、福岡に自らの店舗を開業します。そこで25年以上も地域の人に愛され続けてきましたが、9年前に一念発起して故郷にUターン。お店を継いで洋菓子のラインナップを増やし、店舗の内装も改装したそうです。「長崎は和華蘭文化だから、もうちょっと派手なお店にしようとね」と振り返る斉宮さん。季節限定で月餅も販売するそうで、まさに和洋中がミックスされたお店です。
地元の常連客が多く、なんと先々代の頃から通う人もいるそう。「長崎の人はベーシックなものを好みますよね。あとはしっかり甘いお菓子(笑)」と話すのは、斉宮さんとともにお店に立つ中村友美さん(先ほどの写真の左)。ショーケースには、どこか懐かしくも胸が躍るケーキが並びます。
代々受け継がれる人気商品は、こちらの大きな「栗まんじゅう」。中にぎっしりと白餡が詰まっているのが特徴で、食べ応えも抜群!素朴な甘さがクセになります。ショーケースの横には、焼き菓子も用意。ちょっとした手土産にもピッタリです。せっかく長崎らしい街を散策するなら、こうした地元で愛されるお店は外せません。
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本の楽しさを再発見する、まちの本屋さん
そしてもう一つ、ぜひとも訪れてほしいオススメスポットが「ウニとスカッシュ」。店名からは想像しづらいですが、こちらは店主・河原さんがセレクトした新刊・古本を扱う小さな個人書店です。
小説やエッセイ、詩、絵本など、とにかく多種多様なジャンルの本が並んでいます。「もともと自分自身が“本”というもの自体が好きなので、ジャンルは特に偏りなくセレクトしています」と語る店主の河原康平さん。ウニスカ(多くのファンが親しみを込め、略して呼んでいます)には、タイトルや装丁がユニークな本が多くあるのも特徴で、触って、ページをめくり、眺めているだけでもなんだか楽しい気持ちになります。
そして長崎の書店ではほぼ唯一、ZINEの販売コーナーがあるのもウニスカならでは。ZINEとは、個人やグループで自由なテーマで作った自作冊子のこと。
自分の“好き”が詰め込まれたZINEは、一つ一つがとにかく個性的です。以前からZINEが好きだったことから、河原さんはお店を始めるなら専用コーナーを設けたいと考えていたそうです。
ちなみに河原さんご自身も、開業記を一冊のZINEにまとめて店舗で販売しています。「恥ずかしい気持ちもありますが、読んだ方から嬉しい感想を聞くことがあり、ありがたいです」と笑顔。本の楽しみ方は自由だということを、ウニスカを通して再確認できました。
シーボルトが暮らしていた鳴滝周辺は、今も新旧のお店が立ち並び、地元の暮らしに根付いています。いかにも観光地というより、もっと地元の生活に近い場所を歩きながら、長崎の歴史と人に触れるのもいかがでしょうか。
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この記事を書いた人
藤本編集局 藤本明宏
ライター
長崎県在住のライター・インタビュアーです。人とまっすぐ向き合い、心のこもった文章を書いていきたいと思います。また普段から、インタビューで長く、ゆっくりと話を深めることに意識を向けています。
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